2011年12月15日木曜日

いま、『スティーブ・ジョブズ』の1を読んでいる途中です

こんばんわ(=゚ω゚)ノ

こうたんです。

今、スティーブ・ジョブズの1を読んでます。

まあ、まだ、1/4くらいかな

ここまで読んで感じた事は、「ジョブズは僕にとって、偶像なんだろうな」ということ。

多分、僕は同じ時代、同じ境遇、同じ環境、同じ出会い、同じ仲間がいても彼にはなれない。

そして、彼を彼として認識する事もできない。

でも、僕はAppleの製品が好きだし、彼の作りだしたモノが好きだ。
(ちなみに、今、これを書いているのも、Macbook airだったりする)

人々は、彼自身ではなく、彼の作り出したモノに対して、機能を感じ、デザインを感じ、価値を見いだしているが、そこに、彼自身は存在していない。

しかし、そこには確かに、彼の考え、こだわり、求めてきたもののDNAが組み込まれている。

つまり、僕にとってのApple製品は偶像崇拝の対象であり、その先にいるジョブズは崇拝する元、つまり宗教で言うところの神に近い存在かなって感じた。
(尊敬はしない。崇めるだけである。)

ちなみに、僕が尊敬する人物は
1.P.F.ドラッカー
2.フィリップ・コトラー
3.アインシュタイン
である(順不同)

まあ、あとは、ウォーレン・バフェットやXXも尊敬するが。。。

僕にとっては、「尊敬に値する人物」の枠にしか入らないだろう。
なぜなら、同じ時代、同じ環境、同じイベントがあれば、もしかしたら、同じ事が僕にもできた可能性がある。
数%でもあったはず。

でも、ジョブズの功績は、僕ではできなかったろうと確信する。
僕にとっては、キリストや仏陀、弘法大師と同じ枠にジョブズはいる。

つまり、人の枠に入れては行けない存在だと、認識した。

まあ、この先の続きを読んでいったら、もっと人間味のある部分が見えてくるかもしれない。
ただ、20代中盤までのジョブズはそんな存在だと僕は思う。

まあ、続きは、明日の朝に読みましょう。
(家では読めないし、毎日午前様で帰ってくるから、本を読むのは専ら電車の中だったりする)

ではでは(´∀`*)ノシ バイバイ

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