2013年7月19日金曜日

生きる事・死ぬ事・人生・輪廻。。。何となくわかってきたカモ

うむ、本日も暑かった。
正直、熱中症になりかけた。
いや、なったんだろうな。

ぼーっとしてたし、汗あり得ないくらい出てたし。。。
最後の方、汗出てこなかったし。。。

まあ、そんなおり、夢を見た訳だ。
いろんな、思考が混ざっていたのかもしれない。

朝見た情報番組の話題
届いていたローンの催促DM
止まない電話
子供の今後
自分のこれ迄の人生
自分が今おかれている立場
何度も繰り返した自殺の思考
これからどうすべきか。。。

正直、熱中症中は僕の意識は違う場所にいたと思う。
今は、この頭の中にある脳で感じ・考え・記憶し、そしてキーボードを叩いているが。。。

熱中症時は、もう少し上の方にいたと思う。
今考えると、首を絞めて(いや、正確には吊ってかな?)数十秒後には、すでに同じ感覚を味わっていたのかもしれない。

まずは、結論を言うと、悟りとは、この感覚の延長上なのだと思う。
まあ、僕は悟ってないし悟れる気もしない。
また、ある宗教のはじめの一人(仏陀やキリストなど)なら、その境地に到達できるかもしれない。
しかし、その後でてくる、開祖や教祖、宗祖といった人間はそこ迄の域には達していないんだろう。
いや、達していたら、宗教として成り立たないか。
正直、多神教的な性格を持った宗教自体に疑問を感じ始めた。

じゃあ、唯一神を信仰する一神教が上かと言われたら、そんな事もなさそうだ。
信じるものが1つってことは、信者が盲目になる可能性がある。
それが、良いか悪いかは別だろう。

いやいや、すっごく話がそれた。
というか、僕の中で思考が渦巻いていてまとまっていない。
なので、好き放題書かせてもらおう。

今、生きている事、死のうと思った事、これ迄の人生、そして死んでしまった場合輪廻の輪に戻るかもと言う事は何となくわかったカモしれない。

さて、生きるとは何か?
まあ、人生ってレールの上をそのとおり進む事だろう。

死ぬとは?
レールの終点かな。

じゃあ、自殺って?
死ぬと同意だと思った。というか、今日、そう感じた。
よく、自分の命を絶つのは良くない事だとか、生きたくても生きれない人がいるとか言う人がいるが、それはどうだろう?
結局、自分で終点を決めているようで、実は、そこがレールの終点って事じゃないだろうか?

まあ、この話は長くなる。次!!

じゃあ、輪廻って?
無いんじゃないかな?

そもそも、人が死んだら何になるか?
幽霊?思念体?完全な無?
僕は無だと思うけど、そうなると、幽霊って何?ってツッコミがあるんだろうな。
とりあえず、科学的に言えば、人は脳で考えたり記憶したりするんだけよね。
じゃあ、幽霊ってどうやって、生前の記憶を持ってるの?肉体無いよね?
生霊は?浮遊霊は?地縛霊は?
さて、ここは科学で話そう。
思うに、人の意思や思いは残るんだよね。
強ければ強いほど。電磁波って形で。もしかしたら、不可視光線かも。
そこに、意思は無い。恨みとか呪いとかそんなのは存在しない。
ただ、同じ波長を持った人間に、影響を及ぼすだけ。
ちなみに霊能力者ってのも同じで、自分が持てる波長を自在に操れるように経験を積んだと考えるのが妥当じゃないかな。

さて、もうちょっと心霊について。
よく聞く話だが、子供や動物は霊が見えている可能性があると言う。
それは、倫理観や成長過程によるなんとかが影響していると言うが、本当にそうかな?
だって、人間は加齢によって聴力が落ちるとよく言われる。
聴力検査で聞こえる周波数が異なるのはそんな理由(らしい)
ってことは、子供の頃は大人にとって不可視な光線を認識できるからとは考えないんだろうか?
たぶん、聴力だって、大人も訓練すれば超高周波の音が聞こえるんだから、資格も同じと考えて良いんじゃないだろうか?

まあ、ここまでが、心霊に関する僕的な考察。

じゃあ、輪廻って何なんだろう?
世界に広がった宗教観が原因だと思う。
無宗教でも無神論者でも、学校や生活を営んだ経験で何らかの宗教の話を聞いた事があるだろう。
宗教のすごい事は、相手に信じ込ませる事にあると思う。
それは、信じる信じないのレベルじゃなく、信じていなくても、死後の世界観を脳内に記憶させてしまう事にある。
そうなるように、教えを書き記した、つまり記憶に残るような記述方法を熟知している文芸・芸術に長けた者の表現力何だろうね。
現代の文学界に、それほどの事が出来る作家はいないと思う。
いたとしても、19世紀の作家、ドストエフスキーや夢野久作とかだろう。
まあ、偏ってるかもしれないが、それくらいのレベル感だと思っていい。
(個人的には、「罪と罰」とか「ドグラマグラ」が全ての教科書に載ったら、同じくらいの影響があると思う。)

つまり、輪廻が人間が作り出したものだとしか思えない。
逆に、言葉は喋れるけど、全ての社会的常識を学ばせていない人間に臨死体験をさせるなどの実験を行って欲しい。
絶対に、今迄とは違う結果を出せる事だろう。
ただし、それを行うには何十人の人間の人権を犠牲にしなきゃいけないけどね。

さて、既に、何が書きたいかわからなくなってきた。
つまり、自殺は、一概に悪い事じゃないと言う事を言いたい。
なぜなら、そのときに死ぬべきではない人間が自殺をしても、死ねないんだから。
死ねた人間はそこが終着点だったってだけ。
死ねなかった人間は、その先を生きる為の新たな価値観を見いだせる訳だ。
(よく聞く話だよね)

と言う訳で、ここからは個人的な見解。
今のレールで生きたければ生きる。
生きたくなければ自殺すればいい。
ただし、そこで、生き残ってしまったら、新しい価値観で生きる事。
死ねたら、そこが自分の人生だったと諦める。
身内も同じ考えを持ってください。
輪廻は無い。
「生まれ変わっても。。。」って話は絶対しない。
極論で言うと、無になるか、違う世界線上で新たな人生を歩む事。

まあ、僕はどっちつかず。
死ねず、生けず。。。だな。

とりあえず、今日はこれくらいにしておく。

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