2013年8月5日月曜日

さて、最期にしようか

どうも。

今夜で最期にしましょう。
このブログに3桁分の記事を書く気もないし。

とりあえず、最期の酒も飲んだし、有頂天家族も今日迄の分見たし。。。

残された者がらみで気がかりも多少あるが、まあ、人はそれでも前に進む生き物だ。
何とかなるだろう。

むしろ、僕がいない方がましな生活を送れるだろうから、悲観してもしょうがない。

正直、僕は疲れた。
電話が鳴るのも、インターホンが鳴るのも苦痛でしかない。
働きたくても仕事は見つからないし、何より銀行口座が差し押さえもされてしまっちゃ、何も出来ない。

これで生きろって方が無茶だろう。

正直、仕事は無くもないと思う。
ただ、生活保護以下の給料で働けと言うのもどうかと思う。
(嫁子供を養えないって。)

であれば、いっその事、いない方がましな人間もいるだろう。
だって、僕がいなくなれば、住宅ローンは無くなり家の抵当も消滅するし、保険金がおりて僕のこしらえた借金も無くなるだろうし(それでも半分は残る)、これ迄払ってきた分の年金が遺族年金として家族に支払われるだろうし。
(ちなみに、借金の8割は、年末年始の親族のごたごたで作ったものだが。。。そうしなきゃどうしようも出来ない自分の責任なんだろうと諦めている。)

まあ、今更、日本の行政に文句を言ってもしょうがないし、身内を恨む気もない。
家を買ってしまった自分を恨む気も正直ないしね。

まあ、病気になってしまい、貯蓄も無かった自分のせいだと考えるしか無い。
(長男なんで、今は空き家の実家の家と土地を売るって選択も出来たんだが、母と姉の気持ちを考えると、そんな事できないしね〜)

とまあ、ここ迄は、これ迄の言い訳。
ここからは、まあ、いままで書いてきた事の繰り返し。

僕は、死んでも、何者にもなれないだろう。
無に帰るだけと思っている。

宗教は好き(仏教もキリスト教も色々調べたからね)だが、天国や涅槃や冥土と言うものは信じてはいない。
そもそも、人は、脳髄で物事を考える生き物だ。
それが、死んだら、現世に残るって?
そんな考え無いだろう。
肉体が無くなった時点で、人の意識は無くなる。
残るのは残留思念だけ。ただし、それも、何らかの強い思いが残ってた場合のみ。
そうでなければ、何も残らない。って僕は考える。
つまり、僕みたいにいろいろ気がかりがあっても、死ぬ瞬間に何も念を残さなきゃ、幽霊にもなれん。

まあ、嫁と子供に僕の名残が残んないのは悲しき事かもしれんが。。。仕方ない。
僕の縁の者は意外と残ってるから、それで凌いで欲しいかな。

後、喪主は母か姉に譲ってもらう事にしよう。
妻には荷が重すぎる。子供はまだ小学生だ。

保険金は妻に受け取ってもらって、愛車RX-8は子供に残したいな〜。
車をどうやって保存すべきかわかるかな?
最低でも月に一回、出来れば2週に一回エンジンをかけて、エンジン内にオイルを巡らして欲しいし、3ヶ月に1回、実走してオイル交換をして欲しい。
細かい駆動部分やゴム類、バッテリー等はうちの子が乗る前(走り出し前)に一回、全点検をして、車検は取り直す。

とはいえ、遺書を残す気が無い以上、そこ迄は求められない。
そういえば、うちのマンションの駐車場にもう半年くらい動いていないランエボが停まっていたな。
車検も切れているっぽいし。
もしかして、旦那さん、自殺でもしたかな?

まあ、僕も人の事言えないか。
お金がありゃ、事情を聞いて、「駐車場代+車代」を払ってでも、うちで管理すると言いたいが、無理だな。。。

さて、後1時間もしたら旅立とう。
なんでって。。。
げんしけん録画されてた。。。
見ないと。。。

じゃーねー

0 件のコメント:

コメントを投稿