2012年10月24日水曜日

死ぬ為の手段

ここまでいろいろとゴタクを並べてきたが、正直、死ぬ方法を考えなかった訳ではない。

あるときは、駅のホームから電車に向かって飛び込もうかとも考えたし、ベランダから飛び降りようともした。持っている睡眠薬を全て飲んだ上で、首か手首の頸動脈を切ろうかと考えた事もあるし、事故に見せかける為に、車がきている道路に飛び込んだ事もあった。

正直、全て、未遂以前に終わった訳だが。。。

僕の中で一番確実に死ねるなと思ったのは、首吊りであろう。
これが一番多く考えた。でも、未だに、つる場所を特定できずにいる。
理由は簡単である。
僕が首を吊って、有り余るだけの高さがある場所が少ないのである。
まあ、ベランダからとか一目につく場所にはたくさんあるんだが、人目につかずに(発見が遅れるように)首をつれるところの少ない事に正直びっくりしている。

ある程度の高さがあっても、強度が足りないと思われる箇所がたくさんあるし、公園の気とか公共の場で死ぬのはまっぴら御免な性格なので、ここまで悩んでいる。

ここ数ヶ月考えてすごく思った事は、死ぬ事を選ぶのも大変な世の中になったって事だ。

今日も、会社をさぼってしまった訳だが(更に収入が減るな〜)、さっき、ふと考えたのは、今の自分の問題を完全に取り除く、つまり会社を辞めてしまったら、生きる勇気もわくのではないかと思った。
死ぬ事を考えているさなかに、こんな事を思ってしまうってことは、少なからず、この世に未練があるってことなんだろうか?

まあ、ちょうど妻も休みだったので、少ないながらアフィリエイト報酬の振り込み口座の銀行のカードをさっき渡した。まあ、収入と言っても、月に5000円程度のものだろうが、何かの足しになればと思う。

とりあえず、死ぬ方法は首吊りと決めている。
しかし、場所が無い。こまった。
拳銃とかが一般で手に入るんなら、迷わず自分で頭を打ち抜くんだろうが、日本では不可能だし、死ぬなら確実に死にたいので、首をつる事にしようと決めた。

人に迷惑をかけずに死にたいってのが僕の中では第一だから。
(飛び降り:誰か巻き込んだら大変、電車:他の乗客に迷惑、薬物+頸動脈切り:検死とかいろいろ付加価値がついてくる)

もし、会社をやめて生き残る道を選ぶときがきたら、その時は、ここでまた報告します。
まあ、止める前に、銀行系カードローン+消費者金融数社と契約を結んで、数ヶ月、生き延びれる金を作る必要があるとは思うが。。。
(一応、勤め先は、東証一部上場の中堅SI企業だし、年収600万って書いても嘘にならないので、今のローンを含めてもそこそこの金額を借りる事は可能なはず。)

まあ、今の会社にはやりがいもいきがいも未練も恩もないのでそれも一つの手かもしれない。なので、死ぬなら、在職したまま、生きるなら最後にネームバリューを利用してかな?
どちらにせよ、今のところは死ぬ方が、20%位強い状態です。

まあ、きたいしててください。
(最終更新から2ヶ月、更新されなかったら死んだと思ってもらっていいですよ)

2012年10月23日火曜日

心理遺伝

皆さんは、夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読んだことがあるでしょうか?

僕は、少し前に読みました。
内容は、まあ、割愛するとして、その中に「心理遺伝」というキーワードが出てきます。

簡単に言うと「先祖の心理的経験が遺伝する」というものです。

最近、僕が考えるのは、これまでの僕は、心理遺伝によって行動していたんではないか?ということです。
なぜ?といわれると困りますが、数年前の僕と今の僕では、考え方に雲泥の差があるからそう思うようになりました。

たぶん、幼少のころ、僕は、何らかのきっかけで、心理遺伝を発症し、特に勉強しなくても勉強はできたし、スポーツもそこそこ得意な状態だったんだと思う。
そして、その遺伝により、理数系の道を選んだんではないかとおもいます。

(たぶん、きっかけは、アルコールだと思いますが。。。)


しかし、今は、その心理遺伝も解け、理数系よりも文系よりの"本来"の僕の精神になってしまったのではないかとおもいます。

僕の先祖は何を学び、何を考え、何を残したかったのか、今ではわかりません。
ただ、僕に流れている血のどこかにまだ、その意思が残っているのでしょう。

その魔力がなくなった今、僕は、死を選ぼうとしているんだと思います。

多分、心理遺伝のもととなった、先祖も三十半ばで命を落したんではないでしょか?

そんな気がしてなりません。


死ぬことは悪いことなのか?

変な事を言わせてもらおう。
自殺を考えている、僕としては、タイトルのように考える。

自分の命を自分で絶つことはいけないことか?
宗教的、概念的な考え方として、人の命の炎がともっている蝋燭の長さは、人それぞれ。
(平たく言うと、人の寿命は生れた時から決まっているという考え。)

僕としては、僕の蝋燭は既に消えかかっているんだと思う。
消えた瞬間の事象が、自殺か他殺か事故か病気かってだけで、何も変わらない。
どんな理由で死のうとも、そこが天命だったと考えるのが正しい。
(一応、三十代なので、寿命という考えは外しておこう。)

もし今ここで、僕が死ななければ、それは命の蝋燭がまだ残っているというだけのこと。
ただし、その後、幸せに暮らしていけるかは想像できない。
もしかしたら、自分の命がおしいから、自殺は止めて、他人の命を奪うかもしれない。
もしかしたら、自殺に失敗して、色々な障害を背負って、残りの人生を生きることになるかもしれない。
もしかしたら、生命維持装置で無理やり生かされるかもしれない。

これって、幸福な人生かい?
こんな状態になるなら、僕は自らの命を使って、家族の(金銭的な)幸せを作ってあげたい。
父親がいない子供なんて、この世にはいっぱいいる。なぜなら、僕もその一人だから。
それでも、こうやって、三十数年生きてきた。これ以上生きていける気がしない。

さて、横道にそれ過ぎた。本題に戻ろう。
「死ぬことは悪い事かい?」
僕にとっては「NO!」だよ。自分の命の終着点を自分で決めた素晴らしい判断だと思う。

過去の文豪達、宮沢賢治・太宰治・夏目漱石・夢野久作・芥川龍之介、みんな、一度は死に焦点を当てた作品を書いている。その結末もそれぞれである。
人にとって死とは何か?無神論者の僕には何も言えない。死んだら、動かないたんぱく質の塊になるだけだろう。それ以上に何がある?と答えたい。

僕は、もう死んでしまいたい。いろいろ辛いから。
もし、「辛い」って感情がなくせるんなら、それで解決するかも知れない。
いや、僕の場合は解決しない。収入源がなくなるんだから。

僕が死んだら悲しむ人がそれなりにいるだろう。でも、僕は、辛さから解放されて、楽になれると思う。

自ら死を選ぶことの何が悪いのですか?
自ら死を選んでも、そこが寿命と変わらないんです。
運命は自分で変えることはできないから、そこが人生の終着点なんです。
途中下車じゃないんです。

ほんと、「自殺する前に誰かに相談しましょう」と簡単に言ってくれる、コメンテータや政治家、タレントには、この気持ちはわかんないでしょう。
そこまで、追いつめられたことないんだろうから。
相談できない、逃げる手段も立ち向かう手段もない、もうどうしようもない状態が、自殺の手前なんです。
そして、自殺して命を絶つことはそこが天命を全うしたという事です。

寿命が残ってたら自殺未遂で終わって、その先に進みますから。

最後に、憲法の「基本的人権の尊重」を素直に受け止めれば、自殺を実行する人を止める権利は誰にもないということにはなりませんか?

なぜ、死にたくなったか?

何から書けばいいんだろう?
誰でもそうであろうが、遺書なんて、書いたことないから、何を書いていいのか分からない。
しょうがないので、なんで、死にたいかから書き出してみようと思う。

といっても、特に"これ!"って感じの理由があるわけでもないなと、いまさら思う。
強いて言うならば、金銭的な問題と体調の問題だろう。

まずは、金銭面。
まあ、他の家庭と変わらない位の借金はある。
住宅ローン、自動車ローン、その他クレジットカードの負債等々。。。
それだけなら、さして問題はない。
今まで、僕の収入の中だけで、なんとかやりくり出来ていたし、もっと追いつめられた家庭もあると思う。
じゃあ、なぜ、僕が金銭的に追い詰められてしまったか?
そのまま、続いて体調面の話題になってしまうのだが、一昨年の秋くらいから、アルコール依存ではないか?との理由で、妻に心療内科に通うことになった。

まあ、正直なところ、アルコールは毎日必要以上に飲んでいたし、二日酔いで会社に行くことも時々あった。なぜなら、「仕事の事を一時的にでいいから忘れたい」と「眠れない」という理由があったからである。
最初に診察を受けた日に、医者が「お酒をやめるように」と言った、その日から、今日まで、アルコールは一滴も摂取していない。正直それがストレスになったこともない。(まあ、飲みたいと思うこともあるが、「どうしても」ってわけじゃないので我慢できるし。。。)

つまり、僕自身の自己診断では、アルコールに依存していたわけではないということになる。
問題は、その時に、処方された精神安定剤と睡眠薬にある気がする。
まあ、正直な話、僕は体質的に薬が効きにくいので、睡眠薬は、飲もうが飲むまいが眠れない事には変わりない。しかし、精神安定剤は効果があったらしい。
服用してから数日すると、倦怠感・焦燥感・不安など、どうも、薬の作用の逆の効果が表れたようだ。
まあ、これも、僕自身の自己診断では、いままで、精神が緊張状態になっていて、仕事に対する責任感が最前面になっており、「仕事に行かなきゃ」という思考で行動していたのが、薬で、緊張部分が和らぎ、違うもの、つまり「なんで僕がこんなつらい目にあわなければならないんだ」「なぜ、僕ばかり責任を押しつけられるんだ」といった、考えがの頭の前面に出たからだと思う。

まあ、その後、部署移動もあり、これまでのリーダーとしての立場から、担当者的な立場に位下げしたわけだが、それが、僕の病状(多分、この時点では軽度のうつ病だったんだと思う)を悪化させたんだと思う。
業務中は職務に専念したいタイプの僕が今いるのは、ヒマがあれば雑談(アニメ、スロット、ゲーム、食べ物の話題)をし、据え付けのホワイトボードには顧客の(悪い意味での)似顔絵を書き、顧客から借用しているサーバにはふざけた名前のディレクトリやファイルを置くなど、真面目とは言えない職場である。
ひどい時には、業務中にSNSゲームを何人かで堂々とやっていたこともあった。

まあ、最初は、我慢して周りの話を聞かないようにして、自分の仕事に専念していたが、いくら聞かないようにしても、聞こえてくるものは聞こえるし、何より、嫌悪感しか抱かなくなってきた。

さらに、最初は、担当者的な立場としての立ち回りでいいとの話だったのが、だんだんとサブリーダ的な役回りも押しつけられ、僕の神経が衰弱していったのは、まあ、必然であろう。

結果として、最近は会社も休みがちになり、有給休暇も使い果たして、今では欠勤で減給してでも休んでいる状態である。
減給されると、当然ながら僕の収入は減るわけで、その金額が今では、支出に回せない位まで落ち込んでしまった。(参考までに、僕の給料は現在、額面で13万円を切ってしまっている。)

健康な普通の人からしてみれば、「部署の移動を願い出ればいいんじゃないか?」「相手を注意して、自分が楽になるようにすればいいんじゃないか?」「上司に相談してみたらいいんじゃないか?」と色々考えが出るかも知れない。
しかし、それが、無理な理由が僕にはいくつもある。
まず、僕の所属する部署は、基本社員の部署移動の希望は全て却下される(過去、何人も却下され、会社を去った同僚をみてきた)。それに、僕は部門長に嫌われているので、相談なんかできない。まあ、直属の上司であるPMは上記の堕落した社員の一員なので、相談するに値しない。自分から相手を注意する?無理です。もうそんな元気ありません。既に僕のうつ病は中~末期に達していると自身で理解しているので、そんな自発的な行動起こせるわけないです。

最初は、転職とかを考えたが、今では転職先を探す気力もない。

こんな流れで、今の僕の頭には、自分の人生に終止符を打つしか方法がないなという結論に達したわけ。

多分、健常者(あえて、この言葉を使わせていただく)の方々には、僕の感じている空気はわからないと思う。

2012年10月18日木曜日

本気で。。。

死にたくなってきた。。。

次回から、まあ、遺書がわりっちゅーか、心境っちゅーか、そんなこと書き始めます。