2012年7月22日日曜日

ちょっと気分を変えて「罪と罰」を読んでいます

どうも、こんばんわ。こうたんです。

「罪と罰」読んでます。ドストエフスキーです。

いま、ちょうど半分ってところですかね〜。上下巻の上読み終わったところなので。

とりあえず、ここまで読んでいて、思った事を書いてみようと思う。

まずは、この本は、どんな視点で読めばいいんだろう?と半分読んだ今でも悩んでいる。
「罪を犯した人間の心理」なのか「当時のロシアの若者が抱いている社会主義に対する思想」なのか「犯罪に対する思想(1つの罪は100の善行にて償われる)」なのか?

僕は主人公のラスコーリニコフに感情移入しすぎているかもしれない。というか、僕に似ていると思ってしまう。

「1つの罪は100の善行にて償われる」と言うのは、僕の中では容認できる思想である。
ただし、現代においても適用できるかと言われたら、「全てではない」と答えると思うが。。。

例えば、1人の医者の前に、1人の重要患者と100人の軽傷患者がいたとしよう。
1人の重傷患者は、確実に助からない患者だったとした場合、その1人を見殺して残りの100人を処置するのは許される事か?と言う問題に置き換える事ができるかもしれない。(ちなみに、助からない人間の処置をしないのは実際の医者がとる方法である。より多くの患者を助ける為の方法らしいが。。。納得できない人もいるであろう。例えば、その重症患者の身内とか)

上記みたいに、倫理的に許される話じゃない例を挙げると。

国が国民を食い物にして、国家を存続させようと企てた。更に国は、国民を半数まで淘汰しようとしたとき、国民が反乱を起こし、国家のトップを殺害し、国を乗っ取った。(よくある革命劇みたいなもんだね)

これは罪になるか?
国のトップ数人を殺す事により、国民数千人が救われた場合、実行犯は罪に問われるだろうか?そんな事は無いだろう。
実行した人間は、選ばれた非凡人なのだから。

と、いうことで、僕はラスコーリニコフの論文に賛成してしまった訳で。。。
といっても、僕が「選ばれた非凡人」とは思わない訳で。。。

まあ、殺人という犯罪を犯す人は、そもそも、非凡なのだと思う。
普通は思いとどまる事を実行できるんだから。

と言う考えで行くと、今の世の中は殺人事件(未遂も含め)が増加しているっぽいから、非凡な人間が増えているんだろうと思うよ。
(我ながら、変な〆)

まあ、僕の夢物語だね。

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