2012年8月6日月曜日

自殺か他殺か①

今日はちょっと自分のおかれている(なってしまった)状況について書いてみようと思う。

現在、財布の中には74円しか無い。
銀行口座にも、数百円の残高しか無い。

今日は、コンビニ等でもクレジットカードを使用して、なんとか凌いだが、正直つらい。

そんなときに、僕の頭をよぎる考えが2つある。

自殺して、何も考えなくていい状況になるか、誰かを殺して金を奪うか。。。
正直、盗みと言うのはよろしくない。

罪が軽すぎる。
結果、罰も軽くなる為、僕にとってのメリットが無い。

正直、罪と罰のラスコーリニコフ青年の気持ちがわからなくはない。

僕は、教養とよべるほどのモノは持ち合わせていないが、少なくとも現在、下手な事業を行って設けている馬鹿どもよりは、人を幸せにできるアイデアがたくさん頭の中にあるからだ。
しかし、僕には資本が無い。現状では社会的に自分を表に出す舞台も存在しない。

もしかしたら、自分は世界を変える事ができる人種であると考える事もある。
そういう意味では、ラスコーリニコフ青年の考える、1つの罪は100の善行により相殺されると言う思想に賛同できる。

資本を作る為には、人殺しも厭わないでいいと考える。
例えば、今の政治家はどうだろうか?
百害は言い過ぎかもしれないが、有害である事には変わりない。
僕が、政治家の一人を手にかけて、その資産を手にし、新たな世界を作る為の資金にする事は悪と断言できるだろうか?
別に、政治家である必要も無く、経団連の誰かでもいい。
経団連の奴らこそ、日本の政財界を狂わせる最悪の存在であると僕は考えるからだ。
(こっちは、百害と言っても過言でないとおもう)

もう少し言ってしまうと、上記の人間を対象にした殺人を犯しても僕は悔恨や罪の意識にとらわれる事は無いだろう。
もしも、殺害の対象が、保険金をかけた自分の妻や子であれば、その後、長く悩むであろう。(なみなみならぬ理由があれば別かもしれないが。。。)

だが、政治家・経団連といった、日本の全国民にとって、共通的に”悪”と考えられるような存在を、誰かが殺しても、誰も僕を咎めないのではないか?
むしろ、(完全な善人以外の国民からは)感謝されてもおかしくないのではないか?

これが、今の僕の頭に救っている①の考えである。

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